小学生の頃は霊的なものに関心はあったものの、霊等を見る事は全く無かった。霊感アリの人と逢うと、
「すごーい。私も見てみたい」
と興味深々だった。霊らしきものを見始めたのは、中1の時。
 HR前だったか。教壇を白く透き通った人影が横切ったのを見た時は、目を疑った。霊感ナシなのに、霊を見るなん
てアリエナイと。
 霊を見るのは特別なチカラを持つ人だから、自分に見えるわけがないと思って、見た事実を否定した。
 が、それ以来、街中でも家でも、起きて動いていると処構わず霊を見かけるようになった。
 何か特別な事をしたわけでもなく、ある日突然見える様になっちゃったから、
どうして自分に見える??
と、戸惑いだらけ。その頃はスピリチュアルなんて言葉もなく、便利なネット環境もなく。TVも書籍も霊=悪霊・怨霊・
悪いモノ という情報ばかりで。
 何か恐い事が起きたら、祟られたらどうしよう……
と怯えていた。当時は霊をモンスターの様に”怖いもの”として捉えていたから、起きている間中 恐ろしいものを見か
ける……という。リアルで喩えると、偶々通りすがりの人全てに対して、
この人は自分に危害を加えるかどうか?
と疑心暗鬼で見続けている様なもの。今思うと、偶々居ただけで悪意も何もないのに怯えられて、霊側には傍迷惑だ
っただろう。
 そんな感じで自分の感覚を疑って、
見えるはずはない
と自身に言い聞かせるも何らかを見てしまう……その繰り返しで霊が見える現実を否定し続けた10代だった。
 20代に入って霊感有を知る友人知人から霊的相談をされる様になり、始めは自分の勘だけで答えていたものの、
他所様からの相談に応える以上は責任を持たなければならないと思い、勘以上の確かな手立てを探し始めた。
 が、なかなか”これ”と感じるものもなく……お寺や神社・山岳修行という手もあるものの、世俗と縁を切るには有り
余る煩悩の持ち主・”人生愉しまないでどうする”がモットー。食事制限や自分のしたい事に制約が設けられるのは
厭だ・苦行には到底耐えられそうにないと、霊的勉強を見送り続けた。
 結婚して間もなく、人生最悪(と言っても良い位)の暗黒期に突入。
 信じていた相手に手酷く裏切られる、友人だと思っていた相手には酷い仕打ちを受ける(webに個人特定される書
き方で、罵詈を書かれました)身内は亡くす と、踏んだり蹴ったりで自分が生きているかどうか実感できなくなった。
生きてはいるけど、生きている事に何の充足感もなく、日常が虚しく流れて行くだけ。(当時の経緯を書くと膨大な量
になるので割愛です)
 今思い返すと、何かトラブルが起きると、
自分の所為?私が悪かったの?上手く出来なくてごめんなさい。
等、一方的な出来事や避け様のない事まで自分の過失じゃないかとビクビクしていたから、攻撃されるパターンを引
寄せ居ていたのだろうけど。<引寄せる法則についてはここを参照
 それはさておき。この頃の私は、かなりの欝傾向にあったのだろう。
 ある日、所用で踏み切りの傍を通り過ぎた処、
「辛いんでしょ?辛かったら此処に飛び込むと良いよ。楽になれるよ」
と、何かの呟きを聞いた。
 答える気力も無かったのでそのまま放置していたら、それは寝床に入ると耳元へ囁く様になった。
「死ねば良いよ。楽になるよ?」
と。これは1週間一寸付き纏ったが、私が答えずじまいだったので(返事をするのも億劫だった)諦めて何処かへ行っ
た模様。
 こういった無気力な生が暫く続いた後。何もかも後ろ向きに捉える自分に嫌気が差し、現状を打開しようと、ヒプノカ
ウンセラーの元を訪れ、過去生と対面する様になった。
 ヒプノカウンセリングで過去生由来のトラウマに向き合い、妓女だった過去生に続いて、に逢った。
 繰り返し生まれ変わって、前に出来なかった課題をこなす……これが私の輪廻転生への認識だった。過去生は、
過去の自分がそういう生を送ったというだけの情報にしか過ぎない。こう思っていた。
 過去生からの傷も大分癒えた頃、次は自分の持つ超感覚を磨こうかと考えた。今後霊的相談を請けるにしても 仕
事にしないとしても、霊的勉強をした方が何かの役に立つんじゃないかと。
 が、サイキック講座・霊的修行についてネット検索をかけると膨大な量がヒットするものの、
”貴方は選ばれた特別な者”
という怪しい所がとても多く、サイトに一通り目を通すのも一苦労で、ネット検索をしては選んで捜して疲れる……の
繰り返しだった。
 疲れてぼうっとしていた処、
「今はその時機ではない」<探す時ではない と
と、聞き覚えのある声がした。私の感知方法だと思念が直に脳裏に来る感じなので、声と表記すると語弊があるが、
兎に角、感じた覚えのあるものだった。
 誰かな?と辿ってみたら信だった。
 え?過去生って、過去はこういう人生でした という、魂の記憶・一情報でしかないのでしょう?それが、意識を持っ
て何かを言うって何事?
 過去生=情報の1つ程度の認識だった私は、自分の過去生の意識”信”に話しかけられて、腰が抜けるかと思う程
驚いた。よくよく思い返せば、ヒプノカウンセリング中に過去生との対面で彼らと話らしいものをしているので、過去生
は情報ではなく一人格・一意識だと判るのだが。
 ただ、今まで見聞きした霊的記事他では、過去生が独立した意識を持って話し行動するなんて一切なかったので、
信から告げられたのは本当に驚いた。自分の過去生が自分とは別に意識を持って動く……これを認識した時は、遂
に自分のアタマがどうかしたかと思った。
 受講先を探して検索も疲れたし、信に告げられたのは気の所為という事にして、一旦は検索ストップ。疲れていた
から、気の迷いだったんだろう と。
 受講先探しを断念して1ヶ月も経った頃、偶然の縁で受講先を紹介された。そこは、検索した中でも良い感じの所で
はあったが要紹介者という事で、スピリチュアル世界に何の伝もない私には紹介してくれるヒトも居ないと、すっかり
諦めていた処だった。
 凄い偶然。信の言う”時期ではない”は、この事だったのか?と、信からのメッセージを疑いつつ言われた事への一
致に感心した事だった。

'07/5/30up

[TOP] [御相談について] [仲立亭徒然日記] [霊的語り] [私的解釈] [鉱石アイテム] [リンク] [プロフィール] 
[更新履歴]

inserted by FC2 system