霊を感知し始めた中学生の頃。霊的物事への情報が欲しくて、霊感があると噂の同級生を頼った。
 TVや書籍にある情報は、霊=怖い・悪霊・呪われている・祟り ばかりだったので怖くて堪らず、何でも縋りたかった
頃だった。同級生は、
「自分には細川ガラシャ縁の守護霊が居て、御釈迦様との交流もよく行っている」
という触れ込みだった。今考えると、中学生という未熟な年齢で高級霊とコンタクト等出来るわけもないのだが……神
仏クラスの高級霊は、一個人の所へ降りてくるものではないし。
 霊感アリ=霊的物事の専門家・間違いは無い と思い込んでいただけに、当時の自分はそれが怪しいかどうかも判
らなかった。
 家が近かったのもあって、度々相手の家に行く事になり、
「御釈迦様からの言葉を伝えてあげる」
と、コックリさんや自動書記等交霊もどきの事を見せられ、何も知らなかった私は感心する事しきりだった。
(↑の”御釈迦様”は、本物の御釈迦様では在り得ない。性質の悪い低級霊だろう)
 その内、同級生は、
「貴方にも御釈迦様を降ろしてあげる」
と言い始め、何やら念じて(私に)何かを降ろそうとしていた様だが、相手の努力を他所に私には何の変化も無く。
ああ、やっぱり自分には霊的才能なんかないんだ と実感するだけだった。
 それでも、同級生は数少ない霊的シェアをできる相手だったので、付き合いは続いたが。同級生の家へ行き始めて
から、寝込む事が多くなった。
 コックリさんもキューピットさんも(中学生で流行る交霊遊びの類)、10代前半の即物的な欲(〜君と両想いに とか、
いい成績欲しいとか)又は、単なる好奇心・興味本位で行うものばかりだから、低級霊を寄せ集めているだけで。そ
れを日常的に行えば、体調を崩すのも道理。……いやはや、知らないとは恐ろしい。
 無知な私は、発熱で寝込む事自体は特に問題視しなかったが、同級生宅の庇に気になるモノがあった。最初は、
只のシミだったのが人の顔を形取り、哂う鬼女の様なモノになって浮き出ていた。 
 シミと言えども、ハッキリと表情が判る薄気味悪いものだったので、
「あれは何?鬼女みたいな顔に見えるんだけど……」
と訊ねたが、相手には顔には見えないらしく、
「顔?そんなの何処にもないけど?タダのシミだから、気にしなくて好いよ」
と返された。
 その同級生と関わる事の何が拙いのかは判らなかったけれど、何故か、
「これ以上の付き合いは避けた方が好い」
と感じ、進学先も全く異なったのを機に疎遠となった。疎遠になって以降、頻繁な発熱とはぷっつり縁が切れた。
 付き合いがなくなって熱が出なくなったというのは、そういう事だったんだろう。

 中学生後半頃から、親族の勧めで或お寺に通う事になった。
 霊を感知するのは良くないから とか、其処に行けば何でも上手く行くとか言う勧めだったと思う。
 今思えば、それは昔ながらの質素なお勤めでやる仏道ではなく、小さな宗教団体だったのだろう。
 通い始めてから、朝晩読経のお勤めと写経が日課になった。が、仏教にさほど関心もない中学生にとって、読経も
写経も面白いはずがなく。 
 ある日、御前様(お寺のお坊さん)に、
「どうしてこんな事をしなければならないのか、意味が判らないし、面倒だからやりたくない」
と訴えた。御前様からは、
「御仏へお仕えするのは尊い事。それを蔑ろにするのは、根性が捻じ曲がっているからいけない。写経をすれば、曲
がった性根も良くなるからやりなさい」
とのお達しだった。
 やりなさい と言われれば、やるしかないのか……と、渋々お勤めを続けた。
 5年くらい、義務感でお寺に通ったが、霊を感知する状態に何の変化もなく。
 その5年の間に、お寺は信徒からの寄付金等で豪勢な本堂が建てられ……それでも、寄付を・祈祷代に1万円と募
り続け、信徒に”良い物だから”と何かを買わせようとする御前様を見て、何か違うと感じた。
 何だかんだと理由をつけてお寺からの足は遠退き、似非仏道生活は5年少々で幕を閉じた。
'07/8/1up

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