チャネリングや霊視(リーディング)を”何でも判る、全て視通せる”と解釈される方が多いですが。
 ハッキリ言いましょう……それで全部が解明出来れば、何の苦労も要らないです^^;
 チャネリングで別存在とコンタクト可能とはいえ、あくまで”そういう情報ツールが有る”というだけです。携帯やPC
みたいな一寸便利な検索ツールが有るだけで、得た情報の取捨選択は自力でしないとなりません。
 ネット検索にしても様々な媒体から流れる情報それぞれ、必ずしも真実を指している訳ではないのと同じで、必要な
情報かどうか・偽ではないのか?と見極めが重要です。
 ここでも一寸触れましたが、チャネラーに悪いモノが取り入って欲に溺れて堕ちて行く事例は、山盛りあります。
「オマエは神の使いだ、教えを広めよ」
と”選ばれた者”如き扱いを受ければ悪い気はしないものですし、”神の使い”が大袈裟過ぎて退いてしまうのなら、
「貴方は選ばれた者です、貴方のしている事は正しい」
と”誰かに全面的に認められる”といった一種の特別扱いは、心地良く感じ易いものです。
 ”自分の全てを解ってくれる・認めてくれる存在”は、人間が自然に求めるものでしょう。忠告や苦言は耳障り・煩く
感じるものですし、それよりはうんうんと全部頷いて貰った方が居心地好い……人間そんなものだと思います。
 そうして、
「貴方は正しいのですよ」
と、”自分を全面的に肯定してくれる存在”から更に後押しをされたら、
「そうだ、私は自信を持って行けば良いんだ」
と、なり……。
 自信を持つ事そのものは良いのですが、「オマエは正しい」発言が”自分を全部肯定して認めてくれる何か”からの
囁きだとしたら、1度立ち止まる必要が有ると思います。
 ここから下は、私も含めて霊的感知出来る者への戒めになります。
 貴方は、本当に自分の言動に信念を以って、心からそうしたい!という意志の下に動いていますか?それとも、
「私に心地良い事を・優しい事を言ってくれるから、きっと好い導き手だと信じている。
そんな快い事を言ってくれる存在が、悪いモノな訳が無い。拙い事を言うハズが無い」
と思って、心優しい彼等が言う事だから間違いは無いという妄信の下に自分に都合が好いからと、その言動を
採っていますか?
 自分の心をよく見直して、”自分が心から望むから、そうしている”ではなく。
”自身に都合が好いので、そのメッセージに従っている”
”囁きの通りにすれば居心地好いから、それに従っている”
これらに該当・若しくは類似だとしたら、チャネリングで繋がっているのは好い導き手・ガイドではなく、誰でも持って
いるエゴ(利己的部分)・自己顕示欲という魔の可能性大です。
「私はトクベツで凄い・正しい導きに添っているから、間違いは無い」
と我欲に添った結果、霊的な悪いモノ・邪念・魔が引寄せられ(ヒトの欲は魔の大好物です)
「私は正しい事をしているから、周りは私の凄さを認めるべき」
と自己顕示は驕慢に増長して、傲慢街道一直線に……。
 そうして驕りの結果は、霊感商法でお金儲けに夢中になったり。金銭欲に奔らずとも独善・利己的になって他所様
を踏み付けたり……これが好ましい流れかどうかは、ハッキリ書くまでも無いでしょう。
 チャネリングが出来る・リーディングで情報を得られるとは言え、超感覚で探った情報を妄信してはいけませんし、
「私が視たコトに間違いは無い、私の言葉は正しいに決まっている」
となっては傲慢街道まっしぐらです。
 何処から情報を得たとしても、それがエゴや我欲から寄せたものか・魔の誘惑ではないのか、と考える必要があり
ます。
「こうすると儲かるよ、得するよ」
等、即物的な現世利益手段を言う相手、
「言う通りにすれば、誰からも好かれる。孤独ではなくなるよ」
「此方の指示通りにしないと、助かりません。貴方を助けられるのは此方だけ」
等、脅し文句・悪い結果(見棄てられる・助からない)を言って不安にさせ、言う事を聞かせようとするモノ……これら
は魔or我欲・エゴからの誘惑です。耳を貸して好い相手ではありません。
 戒めに大分スペースを取りましたが、こういった理由で、
チャネリング・リーディング=必ず好いモノを引き当てるとは限らない
という訳です。
 チャネリング・リーディングとも、視る側相応の存在としかコンタクト出来ないもので、チャネラーの心が曇っていたり
すると相応のレベルの低い相手としか繋がりません。
 意は環境を引寄せる引寄せの法則の一として、
『不平不満や愚痴ばかり言っている人は、相応の”不平不満に陥り易い状況”を引寄せ易い』
のと同じく、類は友を呼ぶの如く、視る側の気持ちや精神状態次第で悪いモノ・レベルの低い相手とも簡単に繋がっ
てしまいます。
 レベルが上の立場は一寸膝を曲げて、下の存在と目線を合わせて通信する場合も有りますが(でないと未浄化霊
も視得なくなってしまう、浄霊し難くなるので)それは供養や慰霊の為に留めるのが望ましく、日常的に悪霊とばかり
関る・視得るモノはいつも怨霊・厭なモノばかり……というのは、視る側のコンディションに問題有と考えた方が好い
かもしれません。
 問題有というのは”視る側が悪人”の意味に限らず、霊を無闇やたら怖がっていたり、不満不安を抱え込んだりして
いるのも指します。
 かなり大雑把に表すと、以下の通りでしょうか。
・霊=悪霊と思い込み常に意識して怖がる→恐怖感に引かれて悪いモノが寄り易くなる
・不平不満ばかり→不平不満の荒々しい気に寄せられて厭なモノが来易くなる
・不安を抱え込んでいる→不安になり易い要素とリンクし易くなる
 救いを求める未浄化霊に頼られ易い・しょっちゅう憑かれる というのは、寄られる側が優し過ぎる”困っている人は
全て救いたい”と思っている場合が多いです。
 その優しさは大切にしたいものですが、修行僧になって一生を供養の為に捧げる覚悟が無くては、全部の彷徨う霊
を救うのは至難です。平穏な日常生活を送るなら、”供養は御先祖へ・自分の周りや祖霊・神様へ感謝を” で好いと
思います。
 たまに、そこら中の無関係な霊もよく視得えてしまう凄い霊感体質の方も居ますが、こちらは”視得る感覚が非常に
敏感”という能力的資質に拠るものが大きいと思います。
 霊がフツーに視得る=その人自身に問題有 という訳ではありませんので。”霊”と一口に言っても、悪いモノばかり
ではありませんし。霊についてはこのPに。
 厭なモノと関る回数が異常に多いのは、当人が寄せている場合有・その人のコンディションに引かれている可能性
がある 等を視野に入れた方が好いという話です。
 逆に、神様・高次元の存在と簡単に通信出来るものか?と言いますと……。
 ヒトが直に神様とコンタクトするのは、非常に至難の業と思います。
 神社参拝で”上”(神様)と繋がった様に見えても、”上”に繋がる”窓口”とコンタクト出来ただけ。 喩えるなら、
一介の通行人が皇宮の門を叩いても、天皇陛下自らが応じる訳が無いのと同じです。
 参拝中、神社より霊的な反応を貰いました→神様の受付窓口を通じて何か頂きました という事で、神様が直に応
じられた訳ではありません。
 神様と比べたらかなり下の存在になるガイドさん(守護的存在)ですが、そのガイドさんと通信するのも結構な負荷
が掛かります。
 これまでの体験から考えますと。神様と直に交信出来る方が居るとすれば、ヒトの域を超え悟りを開いたレベルの
菩薩様・生き神様ではないでしょうかね?
 少なくとも凡人・俗人の私には、神様と直に通信は”到底為し得ない不可能事”です(^-^;)
 拠って、リーディングやチャネリングで全て判る訳ではありませんよ というのが、私の見方。
 人生に本当に重要な物事は超感覚で得るのではなく、生きて五感で実感・経験して気付き獲得するモノではない
かな?と思います。


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